ちまちま本舗

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青き夜の湯けむり恋歌 サンプル

■有栖川有栖 視点(一章より抜粋)


「のんびり出来てえぇなぁ」
「旅行とか久しぶりだ」
 極楽極楽、と二人して伸びをするのは、温泉旅館の入り口だ。一泊二日の旅行は日頃のストレス発散と取材旅行としても申し分ない。日頃は、大学とバイトくらいしか出歩かない私達を、非日常へと連れて行く。
「しかも! 今回はアリスちゃんのお陰やもん! 楽しもうな!」
 ふっふっふ、とにやけるのには理由がある。実は先日、火村がバイト先の喫茶店のオーナーに誘われて、人生初の競馬をしたのだ。ずらりと並ぶ馬の名前や買い方はイマイチ分からないということで、勝負は潔く一位の馬を当てる単勝だけにしたのだという。競馬新聞を見せられて、コレと決めた馬の名前は「アリスラブ」
 どう考えても、単に見知った名前が入ったものに惹かれただけだと思うし、予想してる記者たちも、全く印をつけてないような、過去の成績も奮わず人気のない馬だったらしいのだが、火村は何を思ったか、その馬に貰ったばかりの一ヶ月のバイト代をほぼ全てぶち込んだ。
 その結果、見事に大方の予想を覆してアリスラブは一位を獲得し、火村は人生初の百万オーバーの高額賞金を受け取った。せっかくだからお祝いにちょっと豪勢に温泉でも行こうぜ、と誘われての今日だ。
「先週はレポートでバタバタしたから、命の洗濯だ」
「俺もや。ぎりぎりで原稿終わったからな」
 お互いにお疲れさん、とお互いの健闘を讃えつつ、旅館の玄関へ進み、宿帳は宿を取った私が書いて、火村に荷物を預ける。
「お荷物お預かりします」
「ああ、どうも」
 仲居さんが荷物を受け取り、案内されて個室へと向かい、途中でこちらが食堂で、こちらが展望大浴場に繋がるエレベーターです、などと案内も交えつつ、私たちは奥まった棟の部屋へと通された。
「こちらになります」
「あー、のんびりできそう」
 靴を脱いで畳に上がると、部屋は十ニ畳くらいはあるような広さの部屋だった。ごく普通に畳敷きの和室で、中央には大きな卓。座布団に座椅子。そして、ポットに湯呑みにお茶請けの菓子。あとはまぁテレビと小さな冷蔵庫と戸棚に隠してある金庫程度。戸口の横にはトイレと洗面台があって、窓側にはソファとテーブルがある。ごく普通に和風温泉旅館の部屋と言われて思い浮かべるものは全部ある感じだ。そして奥の庭には。
「おお、ええなぁ、露天や!」
「こちらは、お好きな時間に入れますよ。上の大浴場は夜九時過ぎたら清掃のために閉めますから、深夜はこちらに入られるとよろしいかと思います」
 縁側のようになってる先には、なんとも豪華なことに小さな露天温泉がある。つまり、部屋に温泉が付いている客室なのだ。この棟は全室そうなってるそうで、だから覗かれぬようにと庭の生け垣が高く、密集している。顔をくっつけても向こう側はほぼ見えそうにない。ここら辺に死体があるとしても、発見するのは部屋に入った人間だけだなと物騒なことを考えていると、お茶をどうぞ、と柔らかく告げられる。
「ほな、頂きます」
「こちらも宜しければ」
 熱いお茶を淹れ、ご当地のものらしい饅頭を勧めてくれた仲居さんは、卓に戻ってお茶をすする私と、饅頭の個装を開けて口に運ぶ火村とを、にこにこと見比べて聞いてくる。
「夕ご飯は、時間になったら、先程、道中ご案内した食堂にいらして下さい。浴衣で来られても構いませんが、何時くらいにご用意しましょうか?」
「んー……七時でいいんとちゃう?」
「そうだな」
「では、七時に用意しておきます。お食事されてる間にお布団を敷いておきますね」
「お願いします」
「鍵はここに置いておきます。生憎と家屋が古いもので、自動で鍵はかかりません。その都度、鍵は締めて下さい。貴重品は金庫に仕舞って下さい。何かありましたら、備え付けの電話にて0番でフロントに繋がりますので」
分かりましたと素直に頷けば、では失礼します、と仲居さんが退室していく。それをのんびり見送って。
「……あ、鍵は掛けなアカンのやな」
 立ち上がって、玄関の内鍵のサムターンをカチンと回せば施錠完了だ。
 指先でちょんちょんと湯呑に触れて、飲める熱さかどうか確認していた火村は、まだお茶が熱いと判断したか、私に喫煙可能だよな? と聞きながらキャメルを取り出した。私は卓上のガラス製の灰皿を、彼の方に押しやって、喫煙を許可してやる。
「俺にも一本くれ」
 咥えタバコで仕舞い掛けていたタバコを、ほらと差し出され、指先で一本引き出し、軽く唇に咥えると、流れる動作で火の点いたライターが寄せられた。
「おおきに」
 火にタバコの先を寄せ、軽く吸い込んで先端が赤く灯るタイミングで顔を引けば、火は消されてライターは持ち主が卓の上に無造作に置く。ただ無言で二筋の煙がタバコの先から立ち上るのをぼんやりと眺めて、煙を吐いた。
 ここのところ、ちょっとだけ火村が余所余所しいなぁと思ったのはいつからだったろう。前はむしろ、火村の方から体を寄せてきた距離感が、ここ最近、たまに少し距離を取られる。いや、今までがおかしかったのだと言われればそれまでだが、せっかくの旅行なのだから、もし私が何かやらかして距離を取られているのであれば、折を見て彼に謝っておきたいところだ。
「吸い終わったら、上の大浴場行ってみん? 見晴らしええらしいから、向こうも見てみたい」
「そうだな。せっかくだから」
 一本吸い終わった火村が、のんびりとお茶をすすって腰を上げたので、私も短くなったタバコを揉み消した。
「あ、もう浴衣に着替えとこ」
「ああ、その方が楽だな」
 二人して部屋で浴衣に着替えてから、バスタオルと下着と鍵を片手に、ちゃんと鍵を締めてから大浴場へと向かう。エレベーターで最上階の大浴場に行けば、同じように夕飯前に風呂に入る客が十数人は居るようだ。
 適当な空きロッカーに荷物を入れて、ヘアゴムがくっついたロッカーの鍵は落とさぬよう自分の手首に通しておく。腰にタオルを巻いてガラリと引き戸を開ければ、夕暮れの山々が目に飛び込んでくる。
「おー、いい眺め!」
 足元に気をつけて中に進めば、かこーんと桶がタイルにぶつかる音が響く。
 まずはシャワーと蛇口が一緒になった洗い場に並び、備え付けで置いてあるシャンプーとリンスを遠慮なく使う。プラスチックの桶に湯を溜めてちらりと火村を見れば、私と同じく髪を先に洗った彼の黒髪が濡れてうねっていた。光の加減かもしれないが、濡れてると黒が目立って若白髪が隠れるような? 気のせいかもしれないが、この若白髪が隠れれば少し幼くも見えるもんだなと思いながら、手足と前をタオルでこする。
「あ、せや、背中流したろか?」
「嫌な予感しかしない」
「なんでやねん」
 なんもせんわ、と肩をペチリと叩いて、ぐいと火村を風呂椅子の上で背中向きに回転させ、石鹸で泡立てたタオルを背中に当てる。スキンシップというのは大事だ。私は今以上に火村の機嫌を損ねる訳にはいかないので、姑息と言われようともこういう時に点を稼いでおきたい。
「……意外と背中広い」
「ん?」
「なんでもあらへん」
 泡を付けて洗っていく肩幅が、妙に広いなと思うのは、普段は彼の背中なんて意識しないからだろう。格好良いなぁ、とこっそり溜息ひとつ。貧相な体格の私とは大違いだ。
「終ったでー」
「じゃぁ交代」
 今度は逆に私が後ろを向き、火村が私から受け取ったタオルでごしごしと洗い出す。
「アリスは細いな。それに白い」
「それ、誉めてへんわ」
「俺としては大いに褒めてるんだが」
「いやいや。お世辞はええねん」
 もう背中はええよ、とくるりと振り向けば、中途半端にタオルを宙で持った火村が、珍しく戸惑った顔でこちらを見返す。ちらりとだけど何も隠してない彼の下半身が見えて、アレのサイズは背中に比例するのか、とかアホなことが頭をかすめた。
「悪い、気に触ったか?」
「いや、そうやない。執筆ばっかで籠もってると陽に焼けんな、と反省しただけや」
「俺だって、今は何もスポーツしてないから、そんな焼けてないぞ」
 しかも、この時期、外のバイトしてないし、とかの言い訳が続くのを適当にあしらって、シャワーで身体の泡を流し、石鹸の付いたタオルを桶に溜めた湯で数回すすぐ。
「ん、よし。終わり」
 すすぎ終わったタオルを軽く絞って立ち上がり、せっかくなので奥の露天風呂の方へと足を進めた。湯気で曇る大きなサッシを開けてみれば、老人が一人だけ湯に浸かっている。外の風に吹かれて、湯気は室内よりも少なめだが、その風がまた気持ちいい。
 ごつごつした岩風呂の湯船へ行き、かけ湯を二回ほどしてからタオルは外して湯船に浸かる。こちらは、露天とはいえ女性用ではないのと、高台のためか垣根は低い。お陰で、綺麗な夕日がパノラマで目前に広がる。
「はー……極楽」
「旅行の醍醐味だな」
 しみじみと温泉の有難味を堪能すべく、しばし二人共が黙っていた。火村と居ると、意外と沈黙が場を支配することがある。読書の時はそれぞれ違う本や資料に没頭しているし、ただぼーっとしてるときもあるのだが、そんな沈黙も苦に思ったことはない。ただ黙って傍にいるのを許されているのは少しだけ特権ではないだろうかと自惚れてみたりして。
「……どうした?」
 気がつけば、私は火村の顔をじっと見ていたらしい。いつもぼさぼさの髪が濡れて、うっとうしいからか前髪をオールバックにしてるのが見慣れない。
「今回は本当に、お馬さんと君に感謝やなーって思うてな」
「ああ、お陰で卒業旅行の資金が増えた」
「え、ほんま? 海外とか行けそう?」
「どうせお前のことだから、シャーロック・ホームズの史跡巡りとかやりたいんだろ?」
「ホームズもでもええけど、むしろ俺はエラリー・クイーンのほうがええわ。ちゅうか、選択肢が広がると行きたい場所に悩むな」
「まぁそれはおいおい悩むとして。――どうやら、そろそろ夕飯の時間みたいだぜ? 人がどんどん捌けてく」
 見回せば、露天に浸かっていた老人の姿も無く、室内の他の客も三々五々脱衣所へと移動しているではないか。
「え、いつの間に」
「時間の経つのは早いな」
「せやな」
 ざばっと湯をかき分けて上がり、タオルで余分な水分を軽く拭き、濡れたタオルを絞ってから脱衣所に上がる。濡れたタオルは洗濯するので置いて帰っていいという注意書きと大きな籠があったので、その中にタオルを入れ、身だしなみを整える。浴衣の帯は適当に蝶結びだ。ざざっと髪をドライヤーで乾かし、鍵と汚れた下着をバスタオルに包み、小脇に抱えて食堂へと降りた。
 *
「おおお、豪勢やな!」
 広い食堂へと向かうと、沢山のテーブルと椅子が並ぶ。よく見れば、それぞれの席には部屋の番号と代表者の名前が書いてある。
「お、あった」
 予約を入れたのは私だから、プレートの名前は有栖川だ。私達は二人連れだからか、テーブルも他の団体客とは少し離してあるようだ。空いた椅子もあったので、バスタオルに包んだ荷物は椅子に置く。
「結構、豪勢だな」
「おん。凄いな。美味しそう」
 鉄板の上でミニステーキが音を立て、海老や野菜の天ぷら盛り合わせ、それに刺身盛り合わせやら茶碗蒸しが見える。デザートは果物らしい。うどんすきの下の固形燃料はまだ火が点いてないが、スタッフらしき人がマッチ片手にテーブルを回って点けているので、程なくこのテーブルにも来るだろう。
「ほな、食べようか」
 いただきます、と手を合わせ、それぞれ箸を取る。
「お、美味い」
 猫舌の火村は、まず真っ先に新鮮な刺し身に箸を伸ばす。私が熱々のステーキを頬張ったところで、スタッフの女性が固形燃料に火を点けに来た。
「ちょっと失礼。お待たせしてすみませんねー」
「いえいえ、大変ですね」
 お気になさらずと火村が返事をしたために、あらいい男と年配に近い女性は笑いながら火を点けて、メモにテーブル番号を書いた。
「この時間は集中しますから。――あ、何か飲み物の注文があれば、別料金ですが承りますよ」
「ほんなら、俺はビールひとつ」
「そちらさんも? ――はい、分かりました。支払いは精算の時に一緒に支払いになります」
 こくりと火村が頷くのを見て、ビールがふたつ注文される声が飛ぶ。
「一本で良かったん?」
「ここでは、あまり落ち着いて飲めなさそうで」
「せやな」
 いや、老若男女様々でいくつも話し声や笑い声が飛び交い、賑やかな雰囲気だから、それはそれで楽しそうなのだが、ここで落ち着かぬ気持ちで飲むよりも、部屋に戻ってゆっくり腰を据えて自分のペースで飲みたいところだ。気持ちは分かる。
「はい、ビールふたつ、お待たせしました!」
 瓶ビールの小瓶と、コップがそれぞれ配られる。手酌にしようかと思ったら、火村がこちらに瓶を差し出すので、笑ってコップを差し出した。金色のビールがコップに注がれ、縁に白い泡がギリギリで止まる。
「ほんなら、お返しな」
 逆にこっちからも、火村の差し出すコップにビールを注いで返杯だ。
「お疲れさん」
「おう、お互いにな」
 軽くコップをぶつけて、冷たい喉越しと、美味しい料理を堪能する。猫舌の火村は、なかなか冷めなかったうどんすきに苦労していたが、それ以外は空腹も手伝って箸が進んだ。
 最終的にはちゃんとうどんすきまで堪能し、我らは食堂を後にする。
「はー、食った食った」
「美味かったな」
「余は満足じゃ」
「殿様かよ」
 爪楊枝を口の端にぶら下げて、くちくなった腹をさすりながら、小脇に荷物を抱えて部屋へと戻るために歩く。途中、フロントの近くに自動販売機コーナーを見つけた。
「お、酒買って行こう」
「せやな」
 ビールもつまみも不足なく自動販売機にずらりと並ぶのを見回して、缶ビールを一本ずつと乾き物を二つ購入した。宿泊施設にはありがちな避妊具とかも端っこに売ってるのが、旅館らしいなとこっそりニヤニヤして。
「これも行っとく?」
「よく飲むなぁ」
 あははと笑ってワンカップもひとつだけ追加して。腹一杯だし、ほろ酔い程度で眠る予定だったから、そこまで買い足すこともないだろうと両手に抱えて部屋に戻る。
「おお、布団やー」
「ああ、敷いておくって言われてたな」
 卓は部屋の隅に追いやられて、畳の上には布団が二組、少し間を空けて並んでいた。火村は、私のバスタオルもまとめてハンガーに干して、鴨居に引っ掛けて乾燥させることにしたらしい。
「和風旅館の良さはここやな」
「そうだな」
 こういう時、ソファなんかではなく、畳に布団のほうが落ち着く。どちらともなく布団の上に座り、缶ビールを開け、軽く掲げてからぐびりと中身を流し込んだ。
「あー、ええなぁ。温泉浸かって、美味いもん食って、酒飲んで」
「極楽だよな」
「なー。これがずっと続けばええんやけど、まだ学生の身では学業優先やしな」
「仕事に就いて、また癒やされたい時は温泉行きたいよな」
「ええねぇ。飲みの誘いでもええよ?」
「その頃には、お前、ちゃんと作家になってるんだろ? 奢ってくれよな?」
「いやいや、何を言うてんの。君が教授になる日のほうが早いかもしれんで? 奢ってもらうからな?」
 二人して未来の予想に笑って、テレビを点けて、あちこちチャンネルを回せば、バラエティ番組でクイズをやっていた。
「なんか見たいもんある?」
「いや、なんでもいい。……ああ、享保の改革」
「あっ! 言おうと思うたのに!」
 丁度、テレビ画面の中は歴史の問題がクイズになっていたのだが、私が答える前に火村が答えてしまった。ちょっと悔しい。
「この位置じゃ見にくいな」
 火村は背を向ける感じの位置だったので、私の隣に並び直し、二人でテレビに視線を送る。司会者が回答者達の緊張をほぐすような笑いを取った後で、次の問題に切り替わる。大正から明治の問題のようだ。
「「文明開化!」」
 火村と私の返答がハモった。お互いににやりと笑って、缶ビールをグビリと飲む。歴史の問題などは学校で習ったからか、火村も外さないらしい。
「懐かしいな」
「テスト問題だと覚えるの嫌やねんけどな」
 クイズならば楽しいのに、学生の頃の教科書を丸暗記みたいなのはどうにも気分が萎える。その傾向は今でもそう大して変わらないのだが、レポート提出みたいなものもそれはそれで大変なので、どっちにしろ、試験というものは面倒くさい。
「アリスは結構、雑学王だからな」
「おう」
 クイズは得意な方だ。いや、クイズの為に雑学を覚えているのではなく、小説を書くのに雑学に詳しくなったのだが、それを実際の小説に活かせているかという点は、今は目をつぶってもらいたい。
 テレビ画面の中の回答者に負けじと私も火村も画面に向かって我先に回答していたのだが、問題が学校で習うことばかりだったので私達の優劣の差はほとんどないまま、やがて番組は終わり、賑やかなコマーシャルが続く。
「この時間やと次は何やろ。映画あたり?」
「テレビ欄だと、見飽きた映画みたいだな」
「なーんや」
 それはちょっとつまらない。
「ニュースあたり点けておくか」
「せやね」
 そちらのほうが推理小説のヒントになりそうだ。こくりと頷き、今日のニュースが淡々と読み上げられるのを聞きながら、ふたりでいつものようにニュースの話題について議論しつつ時は流れ、ちびちびと飲んでいたビールも、残り少なくなってきた頃。
『きゃー!』と女性の悲鳴が鼓膜に響く。
「え!?」
 真っ先に私の頭に浮かんだのは殺人事件という単語だったのだが、すぐにはしゃいだような笑い声がして、なーんだと肩を落とした。私と同じく、すわ異変かと腰を上げかけていた火村も、なんだつまらないという顔でビールを煽る。
「なんや、温泉旅館殺人事件かと」
「それ、お前が第一発見者になりそうだよな」
「いやいや、そこはあれやで。二人で発見して、二人で容疑掛けられて、二人で真犯人見つけるやつ」
「リアルなら、どうやったって、俺らは普通の宿泊客Aであって、単なる傍観者だぞ」
「うーむ。せやなぁ。刑事でもない、ただの学生やしな」
 何か事件に巻き込まれるいい案はないものか、と思案していたら、変な声が聞こえた気がして顔を上げる。同じく、火村も何の音だ? という風にキョロキョロと見回して。
「なんか、いま――」
 そう顔を上げたと同時に、何やら甘い声が聞こえた。思わずポカンと見たのはテレビだが、画面はごく普通にニュースだ。その間にも、ちょっと甘い声は途切れ途切れで聞こえてくる。
 まさか、まさかね、と気を逸らせようと思ったのだが。
『あぁん!』
 がくりと肩を落としたのは私のほうが先だったと思うが、恐る恐る見てみた火村の顔も、どこかげんなりしている。
「……誰やねん、でかい音量でアダルト見んなっちゅうの」
 こういう旅館などは、その手のものが用意されていたりするよな、と苦笑して。だが、私と同じように苦笑すると思っていた火村は、節ばった指でテレビを指し示した。
「残念だが、アリス。この宿は、アダルトチャンネルを用意してないみたいだ」
 ほら、今日のテレビ欄と館内案内一式、と渡されたものを見てみると、確かにそういったものの案内はない。念のためにとチャンネルをリモコンで実際に変えてみたが、アダルトなものは映らなかった。旧式のものだと百円玉を投入してアダルトを見るような機械もあるのだが、何とも品行方正なことにその手のものはくっついてない。
「うそぉ。さっき、自販機に避妊具売ってたやん。やのにアダルト無いとかありえへん」
「つまり、リアルに壁向こうではヤってるってことだろ。まぁ、ビデオデッキとか持ち込んで再生してる可能性もあるけどな」
「どっちにしろ居たたまれんわ!」
 私は淡白気味ではあるものの、こちとらまだ二十代の男二人なのだ。いや、女の子と同部屋ということはイコール、そういう意味なのだろうが、何とも羨ましい。
「こうなったら、酒を煽って寝てやる!!」
 ほれ半分飲め、とワンカップを開けて半分ずつ分け合って酒を飲み、歯を磨いてトイレを済ませ、声はもう無視しようと二人して布団を被って目を閉じて。
 ドキドキとうるさい心臓と、熱い吐息が布団のせいで余計に誇張されて、気が高ぶって眠れない。どうしようどうしよう、と焦る間にも布団越しに甘い声は聞こえるし、オナニーもご無沙汰だったから、身体がちょっと火照ってきた。
「ううう」
 抜きたい。けど、火村が居るし。こっそりやってもきっとバレてしまう。どうしよう、と焦るのに、そういう時だけやたらとアンアンと甘い声が聞こえて途方に暮れる。
 くそぅ。羨ましい。隣の部屋では、女の熱い蜜壺の中に剛直を突っ込んで、思う存分にかき回してる男が居るのだ。こちとら、大学一年の頃の彼女と自然消滅して以来、女の子自体とも手すら握れてないというのに。
「……いってぇ」
 ああもう、完全に勃った。いっそのこと、火村と抜き合いっことかしたほうが健全なのでは。いやさすがにそれはガキでも無いし、恥ずかしいだろうか。もし、火村が無事に寝てるなら、こっそりトイレにでも行って抜いておくべきだろうか、とぐるぐる考え始めた私の耳に、隣で布団がもぞりと動く衣擦れの音が耳に届いた。
 あかーん! 火村の方も、ばっちり起きてるやん! きっとあいつも、この状況では寝付けやしないのだろう。気持ちは分かるぞ友よ。
 固くなってしまった分身を手で押さえつけ、えーとえーと何か落ち着くことを考えろ、と思うのに、甘い声はこっちの事情も知らずに高く跳ね上がる。ううう、そんな気持ちよさそうな声を出すなってば。畜生。
 もしも、もしもだけど、私と火村が恋人だったりしたら、この声に触発されて、くんずほぐれつ布団を乱してセックスしちゃったりするんだろうか。
「……きもちええんかな」
 男同士の場合は確か、お尻に彼のものが入るのだ。そんな場所に物を入れるとか未知数過ぎて怖いけど、好きな人のものだったら……って、いやいや、友達相手に変なことを考えるな。火村は恋人にしたいくらいには格好良いけど、私はノーマルなはずで、火村だって私なんて恋愛対象な訳がない。
「――アリス」
「ひゃいっ!?」
 急に私を呼んだ火村の声に、びっくりしすぎて変な声が出てしまった。焦りすぎだ。落ち着け、私。
「い、いや、えーと……俺、風呂に行ってくる」
 火村の方も驚いたのか、いつもはクールな彼が戸惑ったような口調でそう告げるのが耳に届く。
「え、上の風呂の時間はもう終わったんとちゃう?」
 確か夜九時で大浴場は清掃に入るはずで、既にその時刻はとっくに過ぎている。
「あー……外の露天なら、ここよりはまだ、声は聞こえないかもしれないから」
「せ、せやな。俺もちょっと、頭冷やそ」
 ごそごそと布団から顔を出し、既にそそくさとサッシを開けて縁側へと出た火村を追おうとして股間の高ぶりをどうしようと困惑する。この部屋に居れば、まだ聞こえる甘い声に見舞われるが、それから逃げるためには股間を隠して前屈みで行くしかなさそうだ。
 よく考えたら、火村だって逃げ出したということは、向こうの股間も似たようなもんかもしれないが、とにかく、頭を冷やそう。部屋の隅に寄せてあった座布団で勃起した股間を隠しつつ、縁側に出てサッシを閉める。
 火村は浴衣のままでこちらに背を向けて、露天の湯の出てくる木製の栓を外していた。使ってない時には栓をしていたようで、どぼどぼと湯船に湯が溜まっていく水音が間近で響く。隣の甘い声はほぼ聞こえなくなった。
「あー……いい風やな」
「風呂もちょうどいい湯加減だぜ? 風邪ひかないように足だけでも浸けとけよ」
 ほらここ、と示すのは縁側が四角いヒノキ風呂の縁に接している場所だ。二人程度は並んで足を浸けられるくらいのスペースはある。
「せやね」
 まだ股間を隠すための座布団を手にして、のそのそと近寄ると、火村がこちらに手を伸ばしてきた。
「座布団濡らす気かよ」
「っ!? い、いや、気ぃつける、し」
 引っ張ろうとするのを押さえ込んだら、一瞬、妙な無言の間が空いて。
「あー……その、俺も似たようなもんだから、気にせず……座布団は外して、いい、ぞ?」
 ぼそぼそと火村が告げながら、暑そうに若白髪の髪をかきあげて夜空を見上げる。
「え」
 君も? と今までなるべく見ないようにしていた火村の股間に視線を向ければ、もっこりと火村の火村が浴衣の布地を押し上げているではないか。
「ま、まぁ、健全な証拠やな、お互いに」
 ははは、と照れ笑いで浴衣の裾をまくりあげて足を湯船に浸し、諦めて座布団を火村に渡す。濡れないようにサッシ方面に置かれた唯一の防御に名残惜しく向けていた視線をそっと戻せば、火村は浴衣を脱ぎだしていた。
「え、え、脱ぐん!?」
「暑いんだよ」
 眼の前で鍛えられた広い背中が満月が輝く夜空を背負っているとか、見てるだけでドキドキしてしまう。大浴場の時にも思ったが、いい身体つきだ。女の子たちが騒ぎそうやなと羨ましく感じながら、そっと視線を外す。
「あ、そか。うん、確かに暑いな」
「もうどうせだから、ちゃんと風呂入るか」
 そう言って、潔く下着まで脱いだ火村は全裸で湯船に浸かる。ちらっと見た股間のそれは私と同様に勃起が収まってきているようで、ちょっと安心したような、残念なような。
「俺も入ろ」
 ざあっと強めに吹いてきた風が、ちょっと冷たくて、足湯よりもちゃんと入ったほうが良さそうだ。多少は勃起が収まってきたのもあって、私も彼と同じく全裸になって風呂に入ったのだが。
「意外と狭いんかな」
「たぶん、二人で入るようにはなってないんだろうな。俺を踏んでも構わないぜ?」
「いやそれは君が痛いやん。ちょっとくっつくとか」
「じゃぁ、こうするか」
「わわ!?」
 ぐい、と引っ張られたかと思ったら、私がお尻を着けたのは座る火村の膝の上。火村は私と同じ方向を向いているから、どんな顔をしているのかは分からない。私の背中には、彼の胸板が僅かに触れて、また心臓がドキドキしてきた。
「ほっ、星、綺麗やな」
 なにか言わねばと焦った挙げ句、出てきたのはしょうもない言葉だったけれど、背後の火村は、うんと同意してくれた。
「そういや、君、星が好きやったんやろ?」
 くるっと背後を振り向けば、バチッと火村と視線がかち合って、そのお互いの顔の近さにドキッと心臓が跳ねる。キスできそうな近さで、しかも火村の視線がやたらと甘い気がするのは気のせいか。
「アリス」
「ぇ、……な、なに?」
「この旅行中に、言おうと思っていたことがある」
「お、おん」
 もしや、彼女が出来たとか言うんでは、と心臓が冷えていく。もしそうだったなら、火村はもうこんな風に私と居てくれなくなるのかな。それは……嫌だな。
「俺が当てた、あの馬な、あれが当たったら、あの名前の通りに、お前に告白しようと思ってたんだ」
「へっ!?」
 神妙に覚悟して聞いていたら、まるっきり違うことを言われて、頭が大混乱だ。名前、名前って、あのアリスラブのことか?
「俺はアリスが好きだ。……ああ、お前が女の子が好きなのは知ってるから、安心しろ。こういう触れ合いも、俺の気持ちを知ったら、気持ち悪いと思うだろうから、今日限りで、もうしない」
「えっ……好きって、その、……ほんま?」
 微妙に火村がぎこちない気がして、何か嫌われるようなことをしたかと思っていたのに、正反対の言葉を貰うとは。果たして空耳ではないのかと戸惑って、もぞもぞと膝に座っていたお尻をずらして火村の顔を確認しようとしたら、お尻に硬いものが当たる。なんだこれ? と下に視線を向ければ、火村の火村はさっきよりもそそり立っていて、つい声を上げてしまった。
「でかっ!」
「~~~~~っ! さっきのは忘れてくれ。やっぱり散歩でもして、頭を冷やしてくる」
 ぐい、と私の身体を引き剥がし、ざばっと湯を掻き分けるようにして耳まで赤くした火村が立ち上がる。居たたまれないのは分かるが、私はそれよりも、さっきの告白の意味をちゃんと確認したくて咄嗟に彼に手を伸ばした。
「ちょ、待たんかいっ!」

<中略>


■火村英生 視点(二章より抜粋)
 口付けて、冷たい氷の欠片をアリスの口に舌先で押し込み、その氷に絡まる舌をくすぐって、深く口付ける。溶けた氷が二人の口の中の熱さですぐに温くなって唾液に交じる。
「っけふ」
「……飲んで?」
 溢れる液体をどうしたものやら困っているらしいアリスの瞳を見つめながらおねだりすれば、ごくんと喉仏が動く。
「もっかい、出したら寝れそう?」
 中には挿入しない旨を告げて、浴衣の腰を撫で上げる。びくっと体を震わせたアリスは、俺の手付きに慌てた顔をした。
「っあ、よ、汚れる……」
「ああ、ゴム付けようか」
 買っておいて良かっただろ? と笑って敷布団の上に転がっていた避妊具を取り上げて、口で個装を噛み切った。その様子を顔を赤くして見上げたアリスは、うああとか変な呻き声を発して、見ていられないという風に両手で顔を覆ってしまう。いや、さっきもやったのに今更、何を照れてるんだ。
「むっちゃすけべな顔しおって」
「どんな顔だよ」
「鏡見ろ、鏡! なんや知らんけど、変なフェロモン、だだ漏れやぞ?」
「そのフェロモンとやらで、お前が落ちるなら有効利用したいな」
「アホ!」
「なぁ、アリスの、舐めていいか?」
 まだ顔を覆う彼は放置して、俺は自分の屹立に避妊具の液溜まりをつまんで被せながら聞いた。するすると薄いゴムを引き下ろしていくのを、隠した指の間から見ていたアリスは、驚いたように上半身を起こす。
「ぅえっ!? あ、あの、それやったら、俺も、……きみの舐める、で?」
 ちらっと一瞬の上目遣い。それが最高にあざとかったから、俺は首を振った。
「それは駄目」
「なんでやねん」
「俺が、すぐ暴発しそうだから」
 というか、お試しのお付き合いでフェラはまだハードル高いんじゃないかなと思うから、今回は見送ることを宣言しておく。一度、寝てるアリスにぶっかけた件はまだ秘密だ。
「それは、お試し期間が終わってからでもいいし、アリスが俺に抱かれてもいいって思った時に、な」
「……ちょっと興味はあんねんけど」
「は?」
「やって、君ばっかり、楽しそうやもん」
「いやいや、だって、二人してお互いのものを舐めるとかになるぜ? 男にフェラできるか?」
「やってみらんと分からんやん。噛まへんようにはする」
 痛くせんからええやろ、とあっさり覚悟を決めたらしいアリスにこっちが大慌てする番だ。男気溢れていていっそ清々しいが、これがトラウマになったりしたら俺が困る。
「え、いや、本当にいいのか? 二度と舐めないとか言われたら嫌だぞ」
「男に二言はないで! えーと、とりあえずゴムは外してな? 匂いがちょっと苦手やねん」
「あ、ああ、うん」
 まさかフェラしてくれることになるとは、人生何があるかわからないなと思いながら、俺は嵌めたばかりの避妊具を外し、なんかもったいなくて、また使えるようにそっと布団の上に置いた。
「ほんなら脱ぐわ」
 しゅるしゅると帯を解くアリスに呆然としていた俺は、慌てて押し留める。
「全部脱ぐな。下着脱ぐだけでいいから、浴衣は引っ掛けててくれ」
「え、なんで?」
 そのほうがエロいからと言いかけて、慌てて言葉を探す。
「全部脱ぐと、本気で抱きたくなる」
 真顔で告げたからだろう。アリスはポッと頬を染め、ずるりとずれかかる肩口に慌てたように浴衣を引っ掛け直した。
「わ、分かった。……ほんでどうすんの?」
「ああ、ええと、俺を跨いで足を頭に向けて、頭は俺の股間に向けて。四つん這いな感じで、俺の上に体重かけていい」
 つまりはシックスティーナインだ。ごそごそと指示のとおりに身体の位置を変えたアリスは、俺の陰毛に軽く触れて、こちらを振り返る。
「さっきも思ったけど、きみ、なんでこんなでかいんや」
「お前が触るからだってば。――それより、できそうか?」
 何がという主語はわざと言わなかった。そぉっと指先で屹立に触れられてくすぐったいが、我慢しないと。
「舐めればええんやろ?」
「そう。さすがに咥えろとは言わないから。舐めたりこすったり。俺の息子を可愛がってくれたらいい」
「うーわ、エロオヤジみたいな発言やな」
 鼻白んで文句を言いつつ、そっと俺の竿を握る手付きはさっきと同じくらいの安定感だった。この姿勢で触られるだけでもいいもんだなと思いながら、俺は頭上にぷるぷる揺れるアリスの分身を見上げ、ぐっと彼の膝を開かせて腰を落とさせた。


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R18については、素股と、火村とアリスそれぞれのソロプレイもあります。
最後はちゃんと結ばれるイチャラブなハピエンです。
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