ちまちま本舗

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事件の缶詰3 サンプル

原作版再録本。書下ろし付(R18) オンデマ/A5/136P(表紙含)より

■書き下ろし「書店にて」より抜粋
有栖川有栖 視点


 私の名前は、有栖川有栖。推理小説家だ。有り難くも、読んでくれるファンも増え、サイン会では列をなして嬉しそうに本を差し出してくれる読者達に、感謝しながらサインを書くのはとても嬉しい。
 直接、面白かったと感想を聞けるのは、とても励みになるのだが、中には困った相手も居て、まさに、今、私は大型書店で開催された合同サイン会後の喫煙室にて、そんな相手と対峙していた。
「今まで誰も思いつかなかったトリックでしょう!? これは売れますよ!」
「そうですか」
 男が叫ぶように発言するが、私は男が話したトリックの内容が、どうも過去に読んだことがある気がして、脳内データベースをひっくり返すのに忙しく、つい返事が曖昧になる。
「ええ! 自信を持って言えます! とりあえず、動機は適当に復讐でいいでしょう。細かいところは、先生がどうにか適当に考えて頂いて!」
 適当に復讐ってなんだ、と反射的にイラッとしたが、黙って文句は腹に飲み込んだ。作家としては殺人の動機もちゃんと理由を考え、『仕方なく殺した』とか『カッとなって殺した』とかそういうリアリティを求めたいのだが、読者からしたら、動機はどうでもいいという人も居るのかも知れない。
 目の前で、わあわあと喚く男の言葉を黙って聞いていた私は、紫煙をのんびりと吸い込んで、彼とは反対方向を向き、ふーっと白い煙を虚空に吐き出す。
 ああ、思い出した。男がさっき、私に話していたトリックは、数年前にベストセラーになった推理小説だ。面白かったし、我が家にも本があるが、彼はその本を読んでないのだろうか。でも、それならば何故、本のままのトリックを私に書けと言ってるのかが謎だ。
「どうにかというのを、具体的に示して頂けませんか?」
 既に使われて、知名度もあるトリックをまた使えとか、後は適当に書けとか、初めて出会った相手に無理強いされても困る。もしも相手が編集者で、このネタにこだわったアンソロジーを企画しているとかならば、まだ検討の余地もあるが、そうではないのだ。
 余程の奇抜なトリックや、その手があったか、と膝を打ちたくなるようなトリックならばともかく、ある程度知名度のあるトリックの二番煎じを、目新しく加工をするのは難しい。下手すると、オマージュやリスペクトではなく、パクりだと言われてしまう。
 自信満々で、私にネタの提案を突撃してきたのだから、それこそ彼自身の思いつきを披露する場だろう、という意味で、『具体的に言ってくれ』と水を向けたのだが、それを聞いた男は呆れた顔をした。
「そんなとこまでは知りませんよ」
 理解できないという顔をしているが、むしろこっちのほうが理解できない。この男は何がしたいのだろう?
「それが書けないと言うなら、こんなトリックはどうですか?」
 男がつらつらと新しく語るトリックもまた、私が過去に読んで面白かった本のトリックそのままだった。動機やアリバイまでもが、読んだ本のままだ。私は読書感想文を聞いている気分になった。
「どうです? これもなかなかでしょう? 遠慮なく使って下さい」
 嬉しそうに言われても困る。
「あなたの主張を小説にするのは無理ですね。そのままでは全く使えないので」
「なんですって!? そこを何とかするのがプロでしょう!?」
「ええ。曲がりなりにもプロですから、あなたの提案されたトリックやネタを、私があなたの希望通りに調理するのは無理です。これは私だけでなく、他のミステリ作家に頼んでも、同じ答えが返ると思いますよ」
「どうしてです!?」
 悲鳴を上げた男を見つめて、私は『どうしてもなにも』と呟きながら、喫煙ルームの外で待っている二人の男に視線を投げる。男が部屋に入るまでは警戒させぬよう姿を隠していた二人は、私が向けた視線だけで、心得たように中へと入ってきて、私の横に並ぶ。
 早速キャメルを取り戻して一服する火村と、黙って見守る片桐を両脇に従えて、私は静かに口を開いた。
「では、こちらからもお聞きしますが、K先生の処女作をお読みになったことは? もしくは、Y先生のベストセラーを読みましたか?」
 じっと相手の目を見つめて、問い詰めるように聞いてやれば、相手は何かを探すように、おろおろと視線を彷徨わせた。


短いですがサンプルここまで。書き下ろしだけはRありません。
そして、この話だけは事件というより趣違いなのですが、あえて言うなら謎の男とその行動について推理して突き止める感じでしょうか……。



「二等辺三角形の解を求めよ」より抜粋
■火村英生 視点

 春というよりも、夏に近い暑さを感じるゴールデンウィーク最後の日曜の朝。俺達は大阪府警に呼ばれて、とある大学のキャンパスに足を踏み入れていた。
「撲殺ですか……」
 南無阿弥陀仏、と両手を合わせたアリスを横目に、俺は愛用の黒手袋を嵌めながら遺体のあっただろう白いテープを見遣る。既に鑑識が遺体を運び出した後なので、遺体の状態は差し出されたポラロイドからしか伺えない。地味な感じの印象を強くさせる紺のTシャツに黒のジーンズという服装で、髪はショート。頭を殴られたのか、血が頭から流れていたようだ。あと、両手とズボンの膝が、よく見ないと分かりにくいが、少し汚れているようにも見える。
「撲殺ではあるんですが、どうやらこっちが犯行現場のようで、いくつか血が続いてるんですわ」
 地面には現場だという木の陰からこのゴミ箱横まで点々と番号札が置いてあるから、そこに血が落ちていたのだろう。
「財布に学生証が入ってたので、名前などがすぐ分かりましたわ。交友関係その他は、今、確認中です」
 風間りい。二十歳。大学では英文科の二回生のようだ。
 携帯電話は旧式とは言え音声通話は可能だし、メール程度は可能な機種だということで、電話も含めて送受信履歴などを鑑識がチェック中らしい。
「『死体が歩いた』って、センセーショナルに書かれるんやろうなぁ」
 第一報を思い出したのか、アリスは黄色いテープの外からこちらに向けられているカメラや報道陣から顔を背けて、ため息を吐く。
「そうではないことを早めに解明すれば、ごく普通の事件として扱われるだろうよ」
 マスコミは放置しろ、とアリスを促し、鑑識さんに軽く頭を下げながら警部のもとに行く。
【歩く死体】とアリスが言ったのには理由がある。
 その遺体は、今、我々が居る、とある大学の校舎の隅で、まるでうずくまっているような形で発見されたのだが、目撃談と通報が、ふたつあるのだという。
 最初の目撃談は、中庭の木の側で倒れていたらしい。発見したのはこの大学に通う男女の学生で、倒れた様子に驚いてすぐ走り去り、事務室に駆け込んで事務員に説明し、一一〇に電話した。これが最初の通報だ。
 続いての目撃談は、中庭の隅。最初の木からは直線距離で二メートルもない場所。大きめなゴミ箱の横であり、校舎の壁際に寄りかかる感じで、ちょこんと。
発見した用務員は最初、学生が酔っ払って寝てるか、隠れて泣いてるのかと思ったのだそうだが、ゆすったら倒れ掛かり、頭から血が出ていたので通報した。この二番目の通報が最初の通報から五分後のこと。
 立て続けに通報があり、死体が短時間に移動したという噂は、あっという間にマスコミが嗅ぎつけたらしい。
 そこから俺の携帯に連絡が入り、アリス宅でのんびり休日を過ごしていた俺達は、森下に『死体が歩いた事件が発生したんですが、来ます?』と極めて軽く聞かれて、ここに青い鳥でやってきたのだ。
「で、彼女はこの壊れたメガネを持っていたんですか」
「ちゅうか、やたらめったら、しっかりパッキングしてあるんやな」
 ふぅん、とアリスが感心した顔で、船曳警部が手にしたものを眺め回す。警部が机代わりにしたアタッシュケースの上には、遺体の所持品がビニールに入れられた状態で並んでいるが、メガネとリップクリームと、ユニオンジャック柄の手帳、茶色の長財布と液晶画面が壊れた携帯電話、小さめの黒いカバンだけ。しかも、今時の子にしては珍しく、携帯電話が二つ折りのガラケーだが、これは襲われた現場でもなく死体のあった場所でもない壁際に落ちていたそうだから、携帯を壊すために投げられたのかもしれない。
「私に何かあれば、このメガネを一緒に燃やしてくれ、という遺言つきですな」
 船曳警部の言葉に、ふむ、と遺留品を見る。黒にも見える濃い青のメガネの弦が、右だけ蝶番からばっきりと折れていて、外れた弦自体も無い。レンズを固定しているフレームもヒビが入っていて、だからこそ真空状態でバッキングしてあるのだろう。その上から鑑識が透明な袋に入れてるので袋が二重だ。
「余程のいわくつきですね。これは被害者のものでしょうか?」
「今、指紋を採取して調査中です」
 なるほど、と呟いて、俺は鑑識さんが袋に入れたらしい紙片の袋を摘み上げた。紙片は破り取られたような様相で、しかも、ぐしゃりと握り潰された跡がある。
「【七時】……これは遺体と一緒にあったものですか?」
「ええ。強く握ってました」
 ふーん、と裏表をひっくり返す。握っていた間に水に濡れたのか、汗で濡れたのか分からないが、文字が滲んでいる。しかし、数字だけなのでまだ分かりやすい。
「待ち合わせの時間やろか?」
「そんなところかな。死亡推定時刻は?」
「今、鑑識が調査中ですが、おそらく最初に通報されたあたりでしょうな。あの時刻が七時二十分くらいなので、待ち合わせが七時なら話が決裂した結果ということも考えられる」
 撲殺ならば、カッとした犯人が殴って、というところだろう。殴った凶器はまだ見つかってないが。
「他の遺留品も手にとっていいですか?」
「どうぞ。指紋はもう取ってますから」
 その肯定に、遺留品を手に取る前に、まず、じっと見回していた俺とアリスの声が被る。
「ペンがない」
「ペンあらへんな」
「ええ。ですから、今、周辺を探してます」
 投げ捨てられた可能性もありますから、と示す中庭の周囲では鑑識さんたちがうろうろと地面を見つめて探しているが、何やら数人が一箇所に集まって下を見ているので、見つかったのかもしれない。
「手帳のほうには大した情報はありません。大学の予定が多いようですが、ゼミの時間とか飲み会の予定とか、その程度ですね」
 手帳の今月のページには、今日の日付でUと書いてあり、その下に時刻が書いてあった。さっきのメモと同じ時刻だ。
「警部、このUというのは?」
「誰か、または何かの略称でしょうなぁ。その下に時間が書いてあるので、このUというものに対しての待ち合わせ時間でしょう。このメモとも合いますし」
 そう考えるのが妥当だろうな、と思いながら、ぺらぺらとページをめくる。前月などに遡っても、Uはぽつりぽつりと書いてあるので、頻繁に関わっていたようだ。
「定期的にありますね、Uが」
「おそらく上田とか上野とかの名前の知人か何かでしょうな」
 ふーむ、と考えながら手帳を見つめる。他に時刻が併記してあるものは、ちゃんと○○さんとか○○先生とか○○くんとかゼミ飲み会とかはっきりと書いてあるのに、Uだけは、ずっとUのままだ。
 ということは、これは名字などではないかもしれない。
「アリス、アルファベッドのU一文字で何を思い浮かべる?」
「んん? 何かのバンドとか誰かの芸名とか?……ああ、そういや、YOUの省略形やん」
 UがYOUだとして、それは単に相手に呼びかける言葉なだけだ。
「U、Uねぇ。U.Kでイギリス、USAでアメリカ……」
「イギリス?」
 そういえば、この手帳はユニオンジャック柄だな。だからなんだって話だが。
「いや、違うか」
「何が?」
「流石に犯人が外国人とかってことは、飛躍しすぎだな」
 英文科に通ってるからって安直だろう、とぺらぺらと最後までページをめくり、住所録のページに、Uで始まる人物の名前がないことを確認して、パタンと手帳を閉じた。
 Uの意味はまだ分からない。


サンプルここまで。本編は事件解決の後、R18です。



「いい夫婦の日2016」より抜粋
■有栖川有栖 視点

「今日、十一月二十ニ日は、いい夫婦の日、なんやて」
「ああ、知ってる。明日は勤労感謝の日でもあるが、いい兄さんの日、とも読むそうだぜ」
 語呂合わせで色々考えるよな、と火村は軽く肩をすくめて、面倒くさそうにYシャツに袖を通し、肩に黒のネクタイを、引っ掛けている。
 朝、起き抜けのぼやっとした頭はぼさぼさで、寝起きが丸わかりだ。濃いコーヒーで眠気を覚ましたいところだが、猫舌な彼はまだ熱いそれを口に出来ず、目の前のコーヒーが冷めるのを待ちながら朝飯のハムエッグを食べ尽くしている。
「牛乳入れるか?」
 小さめのうちわを持ってきて、彼のコーヒーをパタパタと仰いでいた私が聞くと、あくびを噛み殺した彼が、素直にウンと頷く。
 濃いコーヒーに牛乳を足して温度を下げると、そっとカップを触ってから安心したようにひとくち飲んで、そこからは少し頭がシャンとしたのか、時計とにらめっこしながらの食事が進む。
 食べ終わってコーヒーカップを置いたら、もうそろそろ出かける準備だ。
「今日は俺がネクタイやったるわ」
 ほれ、貸してみぃ、と火村の前に立ち、よれよれのネクタイを両手に持って長さを調節し、プレーンノットというシンプルな結び方の手順で、しかも自分用ではなく対面を向いた相手のものを締めるので、左右が逆なことに気をつけながら結んでいく。
「えーと、こ、こぅ……か?」
 ネクタイの太い方を前に持ってきて、くるりと細い方に巻きつけ、輪の上から結び目の間に通す。長さはベルトに半分掛かる程度が格好良いらしいので、そのあたりにくるように。
 どうせネクタイは苦手だ、と言って、彼はまともに締めやしないので、上は苦しくない程度に緩めておいた。
「きつい」
「緩めてあるで?」
 しゃぁないな、ともうひと関節分を指で押し下げてやれば、火村は、ほっと息をつく。
「今日は雨降らへんて」
「分かった」
 ほんならな、と玄関先まで彼を見送るために、ぱたぱたとスリッパを鳴らして廊下を歩く。鞄片手に革靴を履いた彼に靴べらを渡して、なんか新婚さんみたいやなと思ってたら、同じことを思ったのか、火村が小さく笑いながら、私に靴べらを返した。
「今日のサービスは、いい夫婦の日だからか?」
「おぅ。明日は兄貴って呼んだろか?」
 にんまりと笑う私に、それは勘弁しろと笑って、火村は、ぽんと私の頭に手を置く。明日は、1123で『いい兄さんの日』なのだ。
「じゃ、な」
「おん……」
 頭の上にあった彼の手が私の後頭部に周り、彼の顔が近づいたので、照れながらも目を閉じた。
 朝のいってらっしゃいのキスは、ほんのりとコーヒーの香りがする。ちゅっと可愛らしい音を立て、唇が離れると、名残惜しそうに私の髪の毛を一房引っ張って、火村の手が離れていく。
「いってらっしゃい」
「行ってきます」
 ドアを開けた広い背中が、ひらりと手を降って見えなくなると、ドアが重い音を立てて閉まる。
内鍵を掛けてから、心なしか寒く感じた気配を払拭するように、私は伸びをして声を出した。
「さて、仕事するか!」


<中略>


「平和もここまでか。──はい。火村です」
 火村がやれやれという顔でスマホを耳に当て、ソファに寄りかかって話し始めたので、ケーキは一旦仕舞おうとしたのだが、押しとどめるようなジェスチャーと、何か書くようなジェスチャーに首を傾げつつ、ケーキの箱はそのままにしてペンを持って戻る。
『──う訳で、変な暗号が残ってまして』
 火村がスマホをスピーカーにしてテーブルに置いたので、私にも船曳警部の声が聞こえる。続いて、部屋のファックスが音を立て始めたので、そちらに送るように、と火村が伝えたのだろう。
「殺人予告らしい。暗号は頼む」
「おん」
 届いたファックス用紙を見ながら、メモ用紙を引き寄せて、『ああでもないこうでもない』とアルファベットやら冒頭の文字やら抜き出してみたが、どれも違うようだ。
 火村は、警部たちが確保して病院に送ったという犯人について、船曳警部の話を聞いている。漏れてくる話を聞くに、犯人は自傷行為で搬送されているが、今は話が聞けないので、殺人予告らしい暗号を早く解きたいらしい。
 今日はもうこんな作業に忙殺されて、えっちは難しいだろうか。いつも火村ばかりが私をいいようにするから、今日くらいは、私もちょっとは火村に奉仕を頑張ってみようか、と思っていたのだが。
 私が、ストレスマッハの時ばかり下半身を舐めたがる、と思われているのは不本意なのだ。別に普段のテンションのときだって、奉仕したって構わないと思ってるのに、火村は妙なとこで私のことを曲解している。
「――あ!」
 分かった! と叫んで、私はふたつの人名を新しいメモに書き出して、火村の目の前に突き出す。
「警部、アリスが解いたかもしれません。今から言う人名をメモして下さい」
 火村の声に、通話先の警部の声が跳ねたのが聞こえてくる。
 俺だって役に立つねんで、と胸を張った私の頭を火村が撫でて、私は誇らしい気分で、今日のご褒美とばかりに、モンブランを頬張った。


サンプルここまで。R18なので、この後で本番あります。



「年末の助手は忙しい」より抜粋
■有栖川有栖 視点

 前略
 年末年始、この時期の私は、なんやかんやで多忙なんです。

「助けてください、有栖川さぁん!」
「わぁぁっ!?」
 英都大の廊下を歩いていたら、突然、わらわらっと出てきた数人の大学生に囲まれて、泣きつかれた。よく見れば、私を取り囲んだのは火村のゼミ生のようで、研究室などで見た顔ばかり。そして、各自、コピーの山を大事そうに抱えている。
「資料探しでも、雑用でも、手伝うので!」
「ほんっとに、助けてください! あの場所に居られません!」
 わいわいと各自が喚いているが、私は聖徳太子ではないので、一度に言われても何が何やら。
「ちょ、ちょぉ、みんな、落ち着いて。誰か要点まとめてくれへん?」
 どうどうと制すると、ハイッと勢い良く手が上がった。
「ああ、はい。えーと、誰くんやった?」
「宇野です。いや、俺の名前はどうでもいいので、火村先生のストレスを軽減してあげてください。いつにも増して機嫌が最悪な上に、タバコの消費量が半端なくて、部屋が煙ってます」
「そんな状態なのに、合同学会の資料作成がやり直しになってしまって、二度手間で、みんなイライラしながら、コピーとホチキス止めが、やっと終わったとこです」
「ついでに、お見合いまで舞い込んだとか聞きましたし、合同学会で会った女性に言い寄られてて」
「飼い猫さんも病気みたいで、大家さんと電話してるのを見ました」
 宇野くんの発言を皮切りに、ひとりひとり手を上げて順番に告げられる内容から察するに、火村との接し方をよく知ってるゼミ生ですら、逃げたくなるような状態らしい。
 飼い猫については、ただの食べ過ぎだった、と婆ちゃんから聞いて知ってるので、もう解決しているが、多忙な時期に色々と重なると、疲れるのは理解する。
「もう年末なので、学会準備作業は終わらせたんですが、作業してても、報告一つするのも先生が機嫌悪くて、こっちの胃がやられそうで」
「あー、だいたい分かった」
 お疲れさん、と労って、私は片手に持った紙袋を、軽く持ち上げた。
「ちょうど、お土産もあるし、みんなで戻ろうか。火村は俺が何とかする」
 持参した土産の中身は、日持ちもするようにクッキーだ。疲れてるときには甘いものが良いし、何を魂詰めているやら知らないが、火村が倒れないうちに対処しなければ、これは周囲が大変だ。
「ありがとうございます!」
「助かります!」
 口々に礼を言われ、謙遜しつつ、私はみんなを連れて、鬼の巣窟となっているらしい火村の研究室へと出向いた。

* * *

「失礼しまーす……うわ! ほんまや、部屋が真っ白やんけ」
 入った瞬間に部屋が白い。タバコ臭い。よくこんなとこに居られるな。部屋の中央の火村も、ペンを握ったまま死んだ目をしてるので、これは確実に体に悪い。
「手分けして窓開けてくれ。一旦、全部全開や」
「っはい!」
 ゼミ生たちがわらわらと窓に駆け寄り、次々と開けて、新鮮な空気が室内に入り込み、煙った室内がクリアになっていく。
「……アリス?」
 部屋の主は、自分の椅子に座った状態で、どこか呆然とした顔で私を見返す。その顔には酷いクマがくっきりだ。おーおー、相当大変な状態だな。
 いつもの白ジャケットに灰色のワイシャツの碁石ファッションだが、ワイシャツはくたびれて、徹夜でしたと言わんばかりだ。
「ひどい顔やな、火村」
「お前、仕事は?」
「ちゃんと終わらせてから、君の様子を見に来たんや。お土産あるで」
 休憩しよ?、と促しながら、さっと机の上から灰皿を退かして、煙の原因を火村の手元から遠ざける。ここに灰皿があるから余計に煙いのだ。
察したゼミ生の女の子が寄ってきて、灰皿の吸い殻を捨てて、灰皿を洗いに行ってくれた。気が利くな。
「ほら、みんなも疲れてるやろ。窓閉めたら、休憩にしよ!」
 好きに開けてえぇで、とゼミ生らにクッキーの箱を渡し、コピー用紙が風に煽られる前に、また手分けして窓を閉めて回って。
「コーヒーは胃に悪いから、お茶にしとき。俺が淹れるし」
 煮詰まってそうなコーヒーメーカーを一瞥し、保温してあるコーヒーを捨てて、電源ごと切り、代わりにやかんでお湯を沸かして、急須とお茶っ葉を用意する。


<中略>


『止めへんなら進めるでー』
 あむ、と口を開けて、まず挨拶代わりにばくりと先端を咥えると、またぴくっと太ももが震えた。咥えている屹立は、むくむくと大きさを増して、『開放してくれ』と言わんばかりにそそり立つ。
 そっと皮を下へ引っ張りながら、れろれろと舌で舐めてご奉仕開始だ。舐める音が響いたらマズいかな、とできるだけ音を立てないように舐めて、鈴口から滲み出た我慢汁を舐め取って。
「……はぁ」
 続けていいよ、とでもいう風に、机の下に伸びて来た火村の手が、私の頭を探り当て、わしゃわしゃと撫でられる。
「なんですか?」
「いや、何でも」
 女性の問いかけに、返事をした火村の息子を軽く、ほんの軽くカリ首を歯で甘噛みして。
「……つっ」
 声が薄く漏れるくらいに反応したのを見守って、今度は口を外して手で撫でてみる。私が机の下で遊んでいることに気がついた火村は、ちゃんとやれ、とでもいう風に、自ら屹立の根本を持って、腰を少しこちらに突き出した。
「んむ」
 じゅるりと唾液を溜めた口で屹立を包む。どれぐらいなら音がバレないかな、と考えながら、ゆっくりゆっくり、ストロークして。
 時折、唾液をすする音が出てしまう度に、ばさばさと火村が必要以上に机の上の本の山を積み直してわざと音を立てて誤魔化すものだから、ついこっちまで笑いそうだ。
「あの、お手伝いを」
「いや! いい。構わない」
 食い気味に拒否しておいたのは懸命だろう。机に近づけば、私が何をしているか見つかる確率が高くなるのだから。
 その間にも、私は音を立てないように頑張って口の中に含んだ火村のものを、舌で舐めて唇で扱いていく。ぴくぴくと口の中で跳ねる太い肉棒を手で支えて、ちゅっと吸い上げれば、びくっと揺れた膝が机を蹴って、ガタンと音が出る。
「っ、と……悪い」
「いえ」
 火村の謝罪に対して、不思議そうな声が返ったので、女性は『何をしてるんだろう』と思ったかもしれない。まぁ、そんなの知ったこっちゃないが、それよりも気にかかることは別にある。
 私はこっそりとスマホを取り出して、とある相手にメールを送った。そんな操作をしながらも、口だけは奉仕をしているので、だんだん顎が疲れてきて、一旦、送信完了と同時に口を離して息を整える。


サンプルは冒頭とフェラ部分だけですが、ちゃんと本番も二回あります。



「ぐるぐるまわる後編」より抜粋。
■有栖川有栖 視点

「アリス」
「っふ、ん、……んん」
 私のマンションに戻り、エントランスを抜けて、エレベーターに入った途端に、火村に引き寄せられて、噛み付くように口付けられた。
 ちゅくっと絡まった舌先からお互いの熱が触れて、唾液が溢れる。まだここは部屋じゃないというのに、こんなに盛ってどうするんだと頭の隅では冷静な自分がいるのに、火村の熱い口づけにぼーっとなってしまって、思考回路がどんどんエロくなっていくみたいだ。
 チン、と音を立てて箱が止まった。やっと唇を離した火村が、腰砕けの私を半ば抱えるようにしてエレベーターを出て、足がもつれそうな私を支えて玄関へと運ぶ。キーをがちゃがちゃと鳴らしてもどかしく鍵を開ければ、待ちきれないというように火村が私をドアの中に引っ張り込んだ。
 どん、と靴箱の扉に背中が当たり、私を壁に押し付けた火村が、また唇を寄せてくる。ガチャンと重い音を立てて玄関ドアが閉まる音が響く。
「んっ、ちょ、……ひむら、まっ」
「もうちょっと」
 ちゅうっと舌を絡めたキスをされ、こちらも応えて舌を出せば、胸を弄った手が衣服を脱がせようと引っ張るから、流石に押し留めた。
「待って、……ここは風邪引くやん」
「じゃあ、移動だな」
 名残惜しげに唇が離れ、どこがいい? と視線が問いかける。
「っ、お、お風呂、とか」
 外出先から帰ったばかりでまだ手も洗ってないし、うがいもしてない。火村の様子だと、止めなければこのままここで抱きそうだったから、せめての妥協案で、お風呂優先だ。
「一挙両得だな」
 ガス入れてくる、と告げた火村が靴を脱いで、のしのしと廊下を突っ切り居間へと進む。彼がオープンキッチンの壁にあるスイッチを入れて来る間に、私も玄関の施錠をしてから靴を脱ぎ、トイレで用を足してから脱衣所兼洗面所に出向き、もたもたと衣服を脱いでいく。すぐに私の後ろに現れた火村もまた、ばさばさと衣服を脱いで脱衣かごに衣服を投げて、二人で風呂場に踏み込んだ。
「あの、火村、先に」
「はいはい。手洗いとうがいな。分かってるよ」
 ぽんと私の頭に手を置いた火村が空の湯船に向けて出したシャワーで手を濡らし、ボディソープで手をしっかり洗ってからうがいをする。この時期からそういう予防をしないと風邪をひきやすい私も同じく、しっかりと手洗いうがいを済まる頃には、シャワーの水は湯気を出して湯に変わっていく。
「ほら、アリス」
 ざぁっとお湯が掛けられて、ふぅっと目を閉じる。まだそこまで寒いほどでもないけれど、温かなものは安心するのだ。
 ガシャン、とシャワーが上のフックに掛けられて、二人の上から熱い湯が流れ落ちる。髪の毛から爪先まで湯気とシャワーで温まっていく。
「アリス」
「ん」
 呼ばれて顔を上げれば、ちゅっとキスされて、濡れた髪をかき混ぜられた。
「髪洗ってやるよ」
「ほんなら、洗いっこしよ」
 一旦、シャワーを止めてお互いの手にシャンプーを出し、少しの湯で伸ばして泡立たせたものを、お互いに相手の髪に乗せてわしゃわしゃと洗っていく。火村のほうが少し背が高いから、私は腕を上げて洗うことになるのが、少しばかり大変だ。
「猫っ毛だよなぁ」
「そういう君は硬めやな」
 コシがあってちょっとうらやましい。そして、全体的な髪の毛の量というか、長さ自体も違うので、私が彼の髪を洗うほうが早く終わってしまうのだが、腕をずっと上げてるのも疲れるから、逆に助かったと言うべきか。
「こんなもんかな」
「ありがとう。ああ、アリス、もう少し上向いて」
 泡が垂れそうと言いながら洗ってくれる指が、頭皮を刺激して気持ちいい。私は、泡だらけのままの両手をどうすべきか迷って、おもむろに火村の腰に手の泡を撫で付けてみる。
「こら、なにやってんだ」
「いや、泡をどうにかしようと」
「くすぐったいからやめろ」
 ガコッとシャワーがフックから外されて、ざぁぁと勢いよく湯を吐き出すシャワーが、まず俺に向けられた。
「目ぇ閉じてろ」
「ん」
 上を向き、目を閉じた私の髪の毛の泡を流すように、シャワーが当てられていく。ふっとシャワーが外れたと思ったら、火村が軽くうつむいて自分の頭の泡を無造作に流していた。
「水も滴るいい男やな」
「変なとこで煽ってどうすんだ」
 ふはっと笑って、またシャワーが止まる。今度はお互いにボディシャンプーを手にとってからの、洗いっこタイムといいつつのお触りタイムだ。ぬるぬると滑りやすい泡の付いた手が、お互いの身体を這い回る。
「んやっ! こしょばいっ!」
「逃げるなコラ」
 身体をくねらせれば、大きな手が私の背中を抱いて、私が風呂場の壁に押し付けられるように追い込まれた。その上、私の足の間に火村が太ももを挟み込んでいるから逃げにくい。
「捕まえた」
 ちゅう、ともう何度目かの口づけが降ってきて、その甘く優しい感触にこっちも笑ってついばむようにキスを返した。
「もういいかい?」
「アホ。そこで俺が嫌や言うたら、どないすんの」
「そりゃぁ、実力行使だな」
「あっ」
 すりすりと親指の腹で乳首を撫でられて、びくっと揺れた腰が彼の腰に触れる。お互いに期待して半勃ちしたそれが、ぴくりと反応した。
 爪の先でカリカリと乳首を引っかかれ、ぷくっと主張した乳首をきゅっと摘まれたものの、泡で滑ってすぐに指が外れてしまう。その刺激すら気持ちよくて身悶えたら、ゴツンと後頭部が壁に当たった。
「んぅっ」
「このままじゃあれだな。座ろうか」
「わっ?」
 ぐいと肩を押されて、風呂椅子に腰を下ろした火村の膝を跨いで座る形だが、火村が膝を閉じてないので私のお尻が落ちそうだ。火村の方は同時にシャワーを下ろしたらしくて、床に水流を当てて足元から泡を流していく。


サンプルここまで。本編は、前中後編全部繋げているので、後編というくくりにはしていません。
前編中編の事件のほうは一般向けで開放中なので、キャプションで内容を確認して下さい。

この先は、本編でお楽しみ下さい。
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