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事件の缶詰 サンプル

ドラマ版再録本書下ろし付(R18) オフセット/A5/180P(表紙含)より少々抜粋

出せない手紙(アリス視点) ※書き下ろし

「よし。書き終わり」
 ふーっと息を吐いて、文章を保存して、そのまま文書ファイルを片桐宛のメールに添付して送信する。三度読み返して誤字は確認したはずだが、ちゃんとした校正は向こうがやるだろうからひとまずの区切りは付いた。
 締め切りとしての最終時刻は二時間後だったから間に合ったことを先ずは安堵して。
「あぁ、目がしょぼしょぼする」
 ずっと画面を睨んでいたからだろうと結論づけて机の引き出しを開け、目薬を取り出して両目に垂らし、ティッシュで溢れた薬液を拭き取る。じん、と目の奥に沁みる薬の匂いが鼻に抜けた。
 しぱしぱと二度ほど瞬いて、目薬を仕舞い、同じ引き出しに無造作に入れている淡い水色の便箋と洋封筒、それからキャメルの箱と使い捨てライターを出して、それらを机の上に広げる。ノートパソコンは邪魔になるので脇に退けて。
 ごそ、と一本引っ張り出したキャメルを咥えて、ライターで火を点け、すぅっと吸い込むとゆっくりと吐き出す。細く白く上に登った煙を追って、無造作に引き寄せた机の上の灰皿に指で摘んだタバコをそっと置いた。
「今回の出来は会心やで」
 ふっと微笑んで、ペン立てに入れてある万年筆を取って蓋を開け、引き寄せた便箋の中央に短い文字をゆっくりと綴る。書いた文字はただの二文字だが、殴り書きなんかではなく心を込めて丁寧に書いたつもりだ。
 一旦、万年筆を置いて、その便箋を丁寧に四つに折りたたんでから、洋封筒の表には長年の友の名を記し、裏には新作のタイトルを書いた。洋封筒に便箋を入れて簡単にシールで蓋の仮止めをしてから引き出しにポイと投げ入れて引き出しを静かに閉め、万年筆にも丁寧に蓋をして元に戻す。
 そう。仮止めしかしてなかったり、住所の記載や切手を貼ってないことで分かると思うが、これは最初から出す気がない手紙だ。あえて言えば儀式のようなものだろうか。
 十七の私を打ちのめし執筆へと駆り立てたのもラブレターなら、隠した思いを吐き出す道具としても最適なのはやはり手紙という古風な手段なのだ。トラウマめいた痛みを伴う儀式だよなと思うこともあるけれど、何通か書いていくうちに少しずつ浄化して誰宛てであれ手紙というものを書くことが苦ではなくなったのは結果的に良かったと思う。
 一番最初に我が友人、火村に宛てた手紙を書いたきっかけは鮮烈に覚えている。大学の頃には毎度小説を押し付けて評してもらっていたのに、卒業と同時に二人共が多忙になってなかなか会えなくて焦れた私はうっかり長い長い手紙を書いたのだが、翌朝、我に返って恥ずかしくなり手紙は止めて完成した原稿だけ送りつけ、手紙は捨てるのも勿体無い気がして引き出しに仕舞った。それが最初だ。
 届いた原稿を読んですぐに駆けつけてくれた火村と昔と同じように小説の矛盾点の指摘に始まって近況に至るまで話し込んで、結局、翌朝は二人共が遅刻するというオマケまでついたが、それからまたどれだけ多忙でもお互いに連絡を取る努力は惜しまずに親友を続け、私が作家になり火村が准教授になり、揃って三十路を超えてもまだこの執筆明けの儀式は続いている。
 最初こそは作品のあとがきめいたものだった『出さない手紙』は、私が会心のミステリを書けたと思った時だけ、こうやって本文の中には埋め込めやしない思いを封筒に大切に仕舞い込む。
火村が最初に読んでくれたときから、あの時から私が紡ぐミステリは彼に渡す一種のラブレターだ。無論、私が彼への言えぬ想いを自覚する前には書いてないし、エッセイなどの時には手紙は書かないからそう数が多い訳でもないが、彼が楽しんでくれることを期待して書き上げたミステリと同じ数だけ手紙も同じく増えた。
 この秘密の手紙は火村にも秘密のまま、墓場まで持っていくつもりだ。今はまだ健康体でそんな未来は予想もつかないが、私に何かあったら机の引き出しのものは真っ先に燃やしてもらおう。
「うー……腹減った」
 我が友人は今頃は講義中だろうか。灰皿に置いたキャメルが半分くらい灰になってるのをトントンと指で灰を落として口に咥えてもう一度煙を吸い込む。キャメルの匂いは彼の匂いだ。前回会ったのはニ週間前のフィールドワークだったか。
 こうやってキャメルの香りに包まれていると、彼が直ぐ傍で私を労ってくれる気がして妙に落ち着く。普段はあまり吸わないタバコを、もらいタバコ以外で吸うのはこの時だけだから、二口程度で満足してゆっくりと紫煙を吐きながら灰皿に押し付けて火を消す。
「とりあえず外で飯食って……京都に遊びに行こ」
 ぐぅと鳴りそうな腹を押さえつつ部屋着の白パーカーを脱いでチェックのシャツに革ジャンを着込んで愛用のカバンを肩に掛け、ドアを閉めた頃にはただのルーティーンの一環だった手紙のことは私の思考からは抜け落ちていた。

 おわり


手紙連作は短編なので、この程度の短かさの話が4つあります(再録の合間に短編を挟みます)。


餌付けの方程式(火村視点) ※書き下ろし

「アリス、何か食うか?」
「んー……」
 生返事を返すアリスの視線はずっと前を見つめている。彼の前には愛用のノートパソコン。睨みつけている画面には彼が紡いでいる縦書きの文字がずらりと並んでいるが、カーソルはさっきからずっと点滅したままで動かない。彼の頭のなかでどんな展開が繰り広げられているのやらと思ったら、不意にかくっと彼の頭が傾いだ。
「……っと」
 パランスを崩して椅子から落ち掛かりそうなのが気になって、慌てて支えてやる。本日の夜が脱稿締め切りと聞いていたので、どうせ食事も抜いてるんだろうと京都からえっちらおっちらと食料を携えて様子を窺いに来てみれば、アリスはまだ原稿と格闘している最中というよくある光景が待ち受けていたというお約束。
「……あー、わるい」
 へらりとこちらを見上げるアリスの目の下にはしっかりとクマがあるので、昨夜は徹夜だったのだろう。
「ちょっと寝ろよ」
「あかん、もうちょいやねん。……なぁ、腹減った」
「……待ってろ」
 仕方ないな、とため息一つ。無理をするなと言いたいところだが、それと同時に最終締切が迫っているのもデカデカと予定の書かれたカレンダーを見て知っているから、書き上げるまでは頑張れとしかこちらは応援できやしないのだ。
 台所に取って返してお湯を沸かしコンソメを入れ、こういう時のために常備している細切れの野菜を冷凍庫から取り出して、マカロニと一緒に鍋に入れてしばらく放置。
 あとは、これは別件として自分が持参したアーモンドチョコレートを取り出して封を開けた。糖分は脳に必要だし、疲労回復にもいい。そして、何よりもこの大きさであれば、アリスの邪魔にならない。なにげにこの大きさという点が一番のポイントなのだ。それを知らずに悪戦苦闘していた過去の自分を思い返して、俺は小さく笑みを刻んだ。



 それはまだ学生時代のこと。
「アリス、なにか食べないと倒れるぞ」
「んー」
「何が食いたい?」
「あー……うん」
 まともな返事が返らないアリスに焦れて、いっそのこと原稿用紙を引ったくりたくなったが我慢した。目の前で必死の形相で文字を書き連ねているアリスは、完全に外部を遮断しにかかっていて、彼の一番の親友だと自負している俺にすらこんな塩対応だ。
 本人曰く、繭にこもってしまう、のだそうで。執筆している時には、本気で外部を遮断してしまって、動くのは手元と視線のみ。
「アリス、せめて水分取れよ」
「ううう、待って。あー! あかん……文字が飛んでまう」
 取り付く島もないとはこのことか。差し出したジュースの入ったコップは邪魔そうに手を振って追い払われた。積まれた原稿用紙の上にジュースをこぼさなくて良かった、とホッとしながらもコップを引っ込めて、邪魔にならなさそうな場所にそっと置き直す。
 執筆中のアリスほど手に負えないものはないと友人たちの間でも有名な悪癖だが、本人としては締め切りを守るのに必死だし、何より作家を目指して頑張っているのは誰もが知っているので、告げた内容をアリスがまともに聞いてなかった時は誰かがフォローするのが常だが、まさか食事や睡眠まで放棄するとは今の今まで知らなかった。
 今回は本気で締め切りギリギリで誤字チェックしてる暇もないかもしれないと言うものだから、チェック手伝おうかと申し出たら、下宿に泊まり込みで原稿をするという話になったのは良いものの、昨日の夜からこっち、周囲が心配する程にアリスは原稿用紙にしか興味を示さない。
 かれこれ数時間はこんなやりとりをしていて、かなり邪険にされつつもめげずに声をかけていたら、ある時、ピクリと手が止まる時があることに気がついた俺は、コップにストローを差してスタンバイしておき、もう何度か差し出しては今は無理と断られたお握りは諦め、個装のチョコレートをひとつ開けて摘み上げ口元に持って行くべく用意する。
 俺が見つめるのはアリスの手元。真剣な瞳で文字を書き綴る手というか、その書かれた内容を注視して。狙うのは地の文のラストもしくは、セリフのラスト。かぎ括弧のタイミングや、文章の切れ目のタイミング。狙いすましてそっと肩に手を伸ばし、軽く叩いて声を掛ける。

この先は、本編でお楽しみ下さい。
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再録集の方は書き下ろしがあまり多くないのでサンプル短くてすみません。
目次はこんな感じ
一、出さない手紙(アリス視点)
ニ、彼は視線で訴える(アリス視点)(再録)
三、書けない手紙(アリス視点)
四、それも含めて愛と定義する(再録)
五、影追人に告ぐ(再録)
六、涙色の手紙(アリス視点)
七、見つかった手紙(火村視点)
八、餌付けの方程式(火村視点)
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